社会観を作る

「人生の目標」と日々の情報 

日々の生活に流されがちになるが、「人生の目標」を考えることがある。仕事上の目標、家庭生活上の目標、個人的な目標など色々とあるが、仕事上の目標などは能力の限界、時の偶然や他者の振舞いに左右され、残念ながら失敗することもある。そこで個人的な目標として、これら公的な目標の上での失敗も糧にできるものがあると心も折れにくいし、仕事も泰然と取り組みやすくなるであろう。私の中ではその一つとして、「不惑といわれる40歳くらいまでに、自分なりの人間観、社会観、世界観を、言葉で表現できる程度に作りたい。」というものがある。

でも社会観は、私が仕事で携わる法律の世界でも「社会通念」や「社会的相当性」など価値観が問われることも多く、現実の事件に取り組みながら研ぎ澄ます機会にも恵まれている。数年前、高校生に仕事を語る機会があった際、同席したあるビジネスロイヤーは法律の世界は曖昧でつまらない、だが沢山稼げると話していた。これに対し私は、曖昧とされる部分は、現時点で説明がついていないと捉えるのがいい、法と経済学という学問領域もあるように、様々な物事に興味を持ちながら経験を積み探求する中で、幾らか整序できるはずである、仕事をしながら考えることができるのも魅力だ、という話をした。

今ではインターネット、新聞、テレビ、書籍、雑誌など情報に溢れており、溺れてしまいそうになるが、このような人生のテーマをもち、漠然とでも意識しながら見ていくと整序がつきやすいであろう。今回は、最近、社会観を作るというテーマについて考えを巡らせる楽しみをもたらしてくれた、いくつかの書籍を紹介しつつ、現時点での考えを簡単にまとめることとしたい。

最初にこれまでの私の問題意識を簡単にまとめると、次のようになる。

  1. 社会契約論や正義論など基本として学んだものは、人間を動物の延長線上と捉える視点に乏しいようにみえる。また、学生時代に興味を持った社会心理学進化心理学の一般書や入門書の範囲では「狩猟採集時代に適応的だった」との説明がなされることが多い印象だが、これでは腑に落ちない。もっと進化を遡って生物学的に根源的な考察をしてみたい。
  2. 基本的に、生物として生存に有利になること=善、不利になること=悪として、行いと結果を結びつけること(応報)が秩序の根本である。(以前書いたもの→応報の原理と契約法理 - 順風ESSAYS
  3. 群れになること(社会を形成すること)は生存に有利になる面と摩擦を生む面があり、生存が確保できるのであれば個体で自由にできる領域が多いにこしたことはない。より個人への抑圧が少ない方法で豊かになることが社会が目指すべきことである。(以前書いたもの→個人と集団について - 順風ESSAYS

岩波科学ライブラリー「脳に刻まれたモラルの起源」

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)

脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか (岩波科学ライブラリー)

 

 人はなぜ善を求めるのか、という副題が付いており、倫理や道徳感情を人間の生物学的な観点から捉え直す必要性が最初に謳われており、まさに上で書いたような私の問題意識と合致していた。特に興味深かった点を簡単に挙げると、(1)倫理観の根源的な要素は傷つけないこと、公平性、内集団への忠誠、権威への敬意、神聖さ・純粋さの5つという「モラルファンデーション理論」、(2)リベラルや保守の政治信条は脳の構造(前部帯状回、右の偏桃体、島皮質前部の大小)と相関があること、(3)オキシトシンという脳内物質が人がもつ信頼感に影響していること、であった。これらの内容からは、社会をみる上でもモラルファンデーションとされる5つの要素について検討し、説明を試みることが有用である、人間の発達過程にも着目すべきである、社会性について生物学的にみる際に重要な物質が解明されつつあると感じた。

 ちくま新書「たたかう植物」  

たたかう植物: 仁義なき生存戦略 (ちくま新書)

たたかう植物: 仁義なき生存戦略 (ちくま新書)

 

 植物の生存戦略を紹介する内容の本で、植物が、他の植物、環境、病原菌、昆虫、動物、人間とそれぞれの相手との関係でどのような機構を発達させてきたのかが描かれていて、非常に興味深いものがあった。これらの内容から思い巡らせたことを挙げると、(1)細胞の構造自体、原生生物の共生・共存を出発点とし、他の相手に対処する場合も共生・共存の戦略が採られる例があるが、そこには人間の損得勘定のような思考が働いているわけではなく、防衛する中でそのように落ち着いていく(そのような者が生き残っていく)というイメージがある、(2)主に病原菌との関係で自己を防衛するために抗酸化物質などが作られる様は、上で紹介されたようなオキシトシンなど人間の体内物質につながるのではないか、ということであった。

岩波科学ライブラリー「協力と罰の生物学」 

協力と罰の生物学 (岩波科学ライブラリー)

協力と罰の生物学 (岩波科学ライブラリー)

 

細菌、植物、昆虫、動物、そして人と「協力」と「罰」の視点から説明がされたものである。「協力」に関しては、血縁淘汰理論(遺伝子の共有が高い個体同士で協力行動が促進される)の観点は、上記の私の問題意識の中で、個体を基本に生存に有利かどうかを考えているところに一定の修正をする材料になるようになると思った。また、「罰」に関しては、経済学でも用いられるフリーライダー抑止の観点から説明がされていることが特に興味深いところで、進化生物学における「懲罰」(次回から協力を得るために一時的に不利益を与える行動)と「制裁」(フリーライダーからの搾取を止めるために殺す)の違いや、罰によって協力を促す効果があるが、報酬によって協力を促す場合と較べて罰を与える人に対し評価が伴わないという限界があるとされていることなどは、人間社会における刑罰を考える際にも一つの視点になりそうだと感じた。

朝日新書「生きるのが面倒くさい人」

 私自身、特に思春期において回避的な傾向があると感じていたこともあり手にした本であるが、今回のテーマとの関係では、ハタネズミの例が興味深かった。近縁種でも、草原に暮らすプレーリーハタネズミは集団性が高く、愛着行動も多いのに対し、山岳に暮らすサンガクハタネズミは子育てもあっさりで個体で生きる傾向が強いところ、生物学的にもオキシトシン受容体の多寡に違いがあるということであった。これは人間のアルコール依存の場面と同様の体の変化のようであり、単に生得的なものにとどまらず、環境や発達過程で個体の社会性が変化する可能性があるように思ったところである。

今後の関心について 

これまでみてきたところを踏まえて、今後こんな物事について考えを巡らせてみたい、というものを簡単にまとめてみる。また何か考えが進むことがあれば、整理して書いてみたい。

  1. 「意識」について:生物をはじめ、人間も生まれた直後は自我がはっきりしているわけではなく、協力関係等、社会的行動は無意識の領域、いわば生体反応として備わっている。「私」という統一的な自己イメージの下の「意識」は、過去や知識からの学習により将来の生体の危機を避けるために備わったひとつの機構ではないか、「意識」の下にある「意思」もそのような機構の一部ではないか、という考えが生まれてきた。そこで「意識」をテーマとした文献などに接してみたいところである。
  2. 「2つの価値観」と「共生・共存」:保守的傾向とリベラル的傾向は生物学的にも傾向性としてあるようである。集団内で限られた資源を守って生存を確保する戦略と、個体で集団を超えた活発な交流によって豊かさを生み出し生存を確保する戦略の違いのようにも思える。また、成功のための競争を生命がかかった競争と捉えて邁進できるタイプと、そうでないタイプの違いも現代社会における大きな価値観の違いとしてあるようにもみえる(以前書いたもの→成功のための競争 - 順風ESSAYS)。これらが無理が少なく「共生・共存」できる姿を探求してみたい。