法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
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世界報道写真展2017

世界報道写真展2017に行く

世界報道写真展はオランダで毎年開かれている世界報道写真コンテストの入賞写真の展覧会である。私は学部の教養課程で報道写真に触れ、以降機会があれば観に行っている。この週末、ふと今年の世界報道写真展はいつ開催されるのかなと思って調べたら、東京での日程が終了直前であったので、行ってきた。前回記事で記述した更新予定からは離れてしまうが、今のうちにまとめておきたい。

www.asahi.com

 

昨年は行き逃してしまったので、2015年以来2年ぶりとなる。学生時代に観に行った際の感想等は以下の過去記事にまとめている。2015年の分は記事にしないままであったが、カタログを購入していたので、これを機に再び見返してみた。

oikaze.hatenablog.jp

 

今年の受賞作品から

今年もパネルにして60以上もの写真が展示されており、全てについて記述することは困難である。個人的に印象に残った作品について記しておきたい。

難民の姿

年度を超えて繰り返し取り上げられるテーマがあり、課題の解決が進んでいないことを表している。中東から欧州等に押し寄せる難民問題はその一つだ。2015年の写真展では、地中海の難民ボートを空撮した写真(一般ニュースの部単写真2位)が特に印象に残ったのだが、その写真はボート上にひしめき合う肌の色も服の色も年齢も多様な難民が空を見上げ、笑顔の人が多く、ピースサインを送る人もいる光景であった。困難な状況から命がけで出港し、救助の先に希望を抱いている様子がうかがわれた。

ところが、2017年の地中海の難民ボートを取り上げた作品たち(スポットニュースの部組写真3位、一般ニュースの部単写真2位、現代社会の問題の部単写真3位)は、悲惨というほかない光景の連続であった。陸地も船も全く見えない海と空一面の中、救命胴衣のオレンジ色と一緒に大の字の仰向けで浮かぶ水死者。ピントは人間ではなく中心の海面に合っており、風景の一部のようである。船倉で押しつぶされ窒息死した家族を悼む人、収容所で嘆く人。生き延びた人にも笑顔の写真はない。収容所の問題は、先日見たドキュメンタリー番組でも胸が詰まる思いがした。

 

空と死

出口近くに展示されていた長期取材の部の3作品は興味深かった。イラン、アメリカの田舎町、ウクライナの人々の様子が組写真でまとめられていた。それぞれを対比してみてみると、空と死が描かれているものに惹かれた。

イランでは、青空の下、クレーン車で吊るされているのは殺人犯。絞首刑の様子だ。手前では軍人の腕が交錯し、時計が光っている。また、黒衣に包まれた女性たちが死者を追悼している写真の空は砂が舞い上がり黄灰色に染まっている。

対してアメリカの田舎町。戦没者の追悼が終わって帰る場面であろうか、青空と鮮やかな緑色の草原の中、3名の恰幅の良い男性の老人が、帽子を被り銃を片手に下げ手前に向かって歩いてきている。その表情はよく見ると険しい。だが、どことなく笑みを浮かべている人がいるようにも見える。思わず近づいて確かめてしまった。

ウクライナは荒廃している光景の連続であった。焼けた後の自動車は、形が何十年も前に見たような古い型である。ひとつ青空が写る写真があったが、破壊された建物の状態を確かめる場面で、ぼろぼろの天井が上に被さり、空が蓋をされている。それでも影のような人の姿の隣に、鳩のような白い鳥が羽ばたいていた。荒廃した街の中、一筋の希望のようにもみえる。

つながっている青空の下、武器が何のために使われているのか、死がどこまで迫っているのか、それぞれの地域の状況の違いが表れているように感じた。

 

法を飛び越える

昨今のニュースを見ていると、法を飛び越える・法の軽視が目につくが、今回の作品でもそのことを感じさせるものが多かった。

大賞となったトルコでのロシア大使暗殺事件の写真(スポットニュースの部組写真1位)は、美術館でのスピーチ中に非番の若い警察官がロシア大使を銃殺した様子が描かれてる。仰向けで大の字の被害者、メガネが壁の近くまで吹き飛んでいる様子は、写真展会場の私までその場にいるような現実感をもたらす。カメラマンが命がけで撮影した状況も伝わってくる。スピーチ中の被害者の背後にある絵画には大砲が描かれているものがあり、絵画の世界と繋がる感覚もある。致し方ないことではあるが、犯人は特殊部隊に射殺されたとの説明書があった。裁判にはかけられず、詳細な動機や経緯はわからぬままである。

パキスタンでの自爆テロ現場の写真(スポットニュースの部単写真1位)は、弁護士の集まりが標的にされた。真っ白なシャツと黒のスーツで綺麗に着飾られていた人たちが鮮血で染まっている。法に携わる専門家が狙われている状況がある。他にも、フィリピンの強権的な政権が裁判手続きなしに容疑者を射殺し、刑務所が過剰収容で階段に所狭しと受刑者が寝そべっている光景の写真(一般ニュースの部組写真1位、単写真3位)も、言葉だけで伝えられている世界の情勢の現場を垣間見ることができる。 

法の基本原則や理念は、ともすれば既得権益層(エスタブリッシュメント)の価値観として敵視すらされかねない状況にある。私たちは当然のことのように学んできているが、遡れば数々の戦争・苦難・異議・闘争の歴史から少しずつ勝ち取られ、形成されてきたものばかりである。即時的な解決を提供できていないのは確かであるが、だからといって無視や放棄してしまえば、悲劇の歴史を繰り返す危険が高い。各原則についてその沿革を丁寧に振り返り、現在の課題解決に向けて改善していく方向で進んでいくことができないだろうか。

 

その他(空撮の進化・息をのむ瞬間・デザインの中の歴史)

2015年の写真展では、ドローンによる空撮で撮られた写真があり(現代社会の問題の部組写真2位)、アメリカの学校の校庭で真上から人々の影が伸びる様子など、芸術性もあり新鮮であった(作品のメッセージは、これらのアメリカの人々の日常風景が、中東などで実際行われているようにドローンによる空爆でめちゃくちゃにすることができる、というものだ。)。今年の写真展では、映像作品として日本の景色をドローンで空撮したビデオが上映されていた。技術の進化とともに、表現の幅が広がっているのを感じる。

スポーツの部では、テニスの全豪オープンの試合で横っ飛びをして球に食らいつく瞬間の写真(単写真2位)が印象的であった。当然、コートの周りにはボールパーソンなどスタッフがおり、観客も大勢いるはずだが、この写真では、宙に浮かぶ選手とラケット、ボールだけの世界となっている。まさに息をのむ瞬間、空間が切り出され、時間が止まったような感覚が写真という媒体で見事に表現されている。

最近はインスタグラムの流行などで正方形の写真が広がっているようだが、中南米の青空と白い建物がデザインとして美しい光景の作品があった(人々の部組写真1位)。説明を読むと、20世紀初頭、韓国系の人々がメキシコに移ったが、日本が本国を併合したために帰れなくなり、定住したという歴史的経緯があるとのことであった。美しさの背後にも、このような歴史が隠されていることを感じた。

 

この人を見よ、この命を見よ

報道写真展を観に行くことの意義は何であろうか。その問いに自分なりの答えを用意するとすれば、現場とそこにある命に向き合う意識を大切にすること、その伝え方を考えることにあるように思う。学生時代に聞いたり読んだりする知識、日常で編集されて届けられる情報、そこでの個々の人たちは抽象化されがちで、統計的な数字で表されたりする。そういう状態に慣れてしまうと、問題を把握しても、そこで苦しんでいる個人や命に目が向きにくくなる。そのような無理解で進んでしまっている問題も多いだろう。

司法の現場は、常に目の前の当事者の問題と法規範との整合性に苦闘するところであり、橋渡しをするという点では共通するところがある。写真展では、大判の写真がまず目に入り多くのことを語り、短い説明文(キャプション)で内容を補完する。写真は、実際行くだけではできない、過去の瞬間を切り取ることができ、見る側で好きなだけ時間をかけて相対し、考えることができる。上で取り上げた難民問題も、1枚の写真で情勢が変わった経緯があった。これもまさに、この子の命をどうにかできなかったのか、という問いかけがされたものである。

jp.wsj.com

個々人には写真展で展開される世界の問題を解決する力はない。無力感に苛まれるといったこともあるかもしれないが、そこはそれぞれの生活や力の範囲で、できることをして、それが広がり、積み重なっていくようにする。そのために大事なことを感じるために、できるだけ毎年足を運んでいきたい。