「鬼滅の刃」血の滲むような努力で為すべきは社会啓発活動と政治活動だと思った

鬼滅の刃」が話題だ。単行本の売上があのワンピースを超えるということもあった。先日書いたようにAmazonプライムビデオを観るようになって、アニメシリーズをひととおり観たので、簡単に感じたことをまとめてみたい。

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鬼滅の刃」は、日の神の血筋を引く主人公が、人を食らう鬼に家族を惨殺され、鬼となってしまった妹を人間に戻す方法を探し、鬼の撲滅のために動く組織である鬼殺隊に入隊し、様々な修行や鬼との戦いをして強くなっていく物語である。人間が捕食されるという発想は、進撃の巨人からよく出てくるようになったか、同じ週刊少年ジャンプで連載している約束のネバーランドにも共通している。主人公は真っすぐで努力家の性格で気持ちがいい。波紋法のような呼吸で身体の潜在能力を引き出し、るろうに剣心のような必殺技が沢山出てくる。真似する人は多いだろう。鬼の親分は冷酷で救いがないが、途中出てくる鬼は元々人間ということもあり憎めない部分があり、悲しい運命が感動を誘う。

個人的に感じたのは、鬼殺隊は、本当に人間たちを鬼から守りたいのであれば、血の滲むような努力で人外のような力をつけるのと同じくらい、社会啓発活動と政治活動に精を出した方がよいのではないか、ということである。

主人公が最終選別という鬼殺隊入隊試験に臨んだ際、藤の花で囲まれた山に行く。鬼は藤の花が苦手で山の外に出られないという。それなら、鬼に襲われないよう、鬼の知識と藤の花を全国各地の家々に広める活動をしたら多くの人命が守られるのではないか、と思った。その後、稀血の少年(鬼が食べると人間数人分の力が得られるいわゆる美味しい人間)を救ったとき、藤の花を加工して作ったお守りを渡すシーンがある。まさにそれだよそれ、それを広く皆に配ればいいのに。さらにその後、柱という鬼殺隊の主力メンバーが出てきて、その一人が藤の花から抽出した毒で鬼を殺すシーンが出てくる。おい、撃退薬まであるならそれも量産して広く配ってくれよ、と感じざるを得なかった。最後には、鬼殺隊たちが駅で警官から刀を持っていることを咎められて追いかけられるシーンがあり、自分たちの存在が政府に公認されていないという話が出てくる。人々の命を守るために話をつけておくべきではないか。大正時代で戸籍もある中、惨殺された人たちを勝手に埋葬しているが届出とかどうしているのだろう。下っ端の鬼一人で80人は人間を殺したという話も出てくる。甚大な被害である。鬼殺隊の柱の人たちは鬼を殺すことが目的のようにみえるが、人々の命を守るという意識がどこまであるのだろうか。鬼殺隊の出動も、被害が出てから派遣されるというもので、一定の犠牲を了解しているような動き方である。血の滲むような努力で尊敬されるに至ったという話があるが、その努力を一人でも多くの人々を守るために意識が向けられ、選別でわざわざ志望者の命を落とさせず、社会的な活動に長けた人材も集めていたらいいのに。それに鬼は人を食うほど強くなるのである。広く予防・対策できれば強い鬼の出現も抑えられるのである。

素直に観れなくなってしまったともいえるが、こういう観点からアナザーストーリーを作ったりできれば面白いなと思う。