「ポリアモリー」ほか、最近の言葉

遅くなってしまったが、前回の記事で予告したとおり、新聞を通して興味を持った言葉、「ポリアモリー」「セルフネグレクト」「ポスト真実Post-truth)」について取り上げてみたい。今年に入っても改めて言及されることが多く、目新しさはなくなってきてしまったかもしれない。

「ポリアモリー」について

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

 

「ポリアモリー」は直訳すれば「複数愛」であり、昨年芸能界を騒がせた浮気や不倫とは異なり、三名以上の者が相互に合意の上で築く親密な関係をいう。上の書籍では、ポリアモリーの概念、種類、アメリカでのムーヴメントの経緯などが解説されている。このような「ポリアモリー」、新聞の書評欄で言及されているのがきっかけだと記憶しているが、私が興味を引かれた理由は、学生時代に大人3人で家庭を形成するブログ記事を書いたことがあるからだ。 

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上の書籍では、冒頭でポリアモリーを扱った小説として江國香織「きらきらひかる」が参照されているが、登場人物の個人の譲れない志向が前提にあって展開される話である。他方、上記のブログ記事では、個人としての生き方、愛に対する価値観といった志向は二の次に、現代日本における経済的事情から適応的な生活スタイルとして語ったものである。衰退が進む時代、稼ぎ手1人では家計を維持できない、共働きは時間や環境面で家庭との両立に難しさがある、そこで2名の稼ぎ手と1名の家事担当者で生活を維持する、というものだ。

「草食系男子」といわれるように、性愛についてそもそも興味が薄い、淡泊な若者像が多く広がる状況もある。性愛も生活の一部として殊更忌避するわけではないが、重きを置かない、個人的な志向は「二の次」として生活を営む。契約結婚を描いた「逃げるは恥だが役に立つ」が昨年大ヒットしたように、このような角度から焦点を当てても面白いのではないか、と思った次第である。

また、上記の経済的問題は現在「働き方改革」として盛んに議論されている状況にある。この機会に解決が図られない場合にどのような現象が出てくるか、といった問題提起という側面も出てくるかもしれない。合計の収入はどれくらいで、家の広さはどのくらいで、間取りはどうするか、子供を想定した場合どうなるか、保険はどのようにかけるか、など現実問題を考えていくと楽しみは尽きない。

 

セルフネグレクト」について

セルフネグレクト」とは、自分自身の生活維持の意欲を放棄し、健康や安全を損なう状況を作ってしまうことをいう。ゴミ屋敷の例を中心に、以前から用いられてきたようであるが、最近知るに至った。近代以降の法律は、基本的に個人は自身の利益を追求し、自身にあからさまな不利益なことはしないだろう、という発想で設計されている。しかしながら、自暴自棄という言葉があるように、この前提が崩れる場合があり、既存の制度では掬われず、問題になりがちだ。色々な対策や援助は考えられており、どのような状況で陥りやすいかを知ることは、対処する上でも重要だ。

だが個人の問題としては、結局のところ、自分以上に自分のことがわかり、なおかつ責任を負える者はいない。「自分を引き受けなければならない」というのは、社会に生きる上で覚悟をすることのひとつと考えている。そして、「自分のため」というのは意外と脆くて弱い。突き詰めていくうちに「空っぽだった」と苛まれるし、意欲が衰えたときに支えられるものがない。他者や共同体との関係で自分を位置付け、義務の部分をうまく織り込みながら、自分の不安定な部分を補い、生活を続けていく。これも同じように学生時代、ミスターチルドレンの曲に合わせてブログ記事に書いたことがある。

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ポスト真実Post-truth)」について

ポスト真実Post-truth)は、昨年イギリスのオックスフォード辞書が1年を表す言葉として取り上げたもので、客観的真実より、個人の感情や願望が優先される状況を示すという。今年も1か月経ったが、世界の政治状況が語られる際に、この言葉が繰り返し使われるようになっている。事実ではなく印象論で世界全体が振り回されている。インターネットが発達して「本音」が明らかになるともいわれているが、往々にして自分のみじめさや辛さを覆い隠すために出てくる、自分自身をも偽った言辞であり、真実でも本音でもない。

悲惨な歴史の上の教訓として形成されてきた原理原則、共通理解と考えられてきたものが崩れてきて、分断して一方の層の価値観だとして敵視すらされようとしている。かといって現状の否定だけで目下の課題の解決策が出されているわけでもない。自給自足では維持できず、相互の友好的かつ安定的な関係が利益になるという大前提も、目の前のわかりやすい部分で不利だと印象を与える行動は許されなくなってきているように感じる。悲惨な歴史を繰り返すことは避けなければならない。このような状況下での処世術は、わかりやすく好意的なパフォーマンスを相手にすることである。だが、理屈を意図的に曲げるのは、時流が変わった場合に誹りを受ける覚悟なしにすることではない。戦うべき場合というものがあり、そのような動きもみられる。

翻弄されてしまいがちになるが、大元にある、再分配の機能不全などの問題の解決策を考えていかなければならない。個人的には、グローバル化と都市化は似ている感じがしていて、都市化の場合よりも能力的なハードルが高く付いていけない者が続出し、地理的な縛りがなく抑えも効きづらい、という特徴が加わったように捉えているが、これもイメージである。 

ペルソナ4 ザ・ゴールデン PlayStation (R) Vita the Best

ペルソナ4 ザ・ゴールデン PlayStation (R) Vita the Best

 

「人は真実ではなく見たいものを見る」「その象徴としてのテレビ」というテーマは2008年にオリジナル版が発売されたテレビゲーム「ペルソナ4」で扱われている。親が望む進路と反発(雪子)、自信が持てるものがない(千枝)、周囲からのイメージと自分とのギャップ(りせ・完二)などなど、青少年が悩みがちなテーマにも答えている。このゲームは私の中でJRPGの最高傑作と思っているので、紹介する。