現金給付より毎月1000円オルカンを付与するのがいい
前回に続く壁打ち話題第2弾。またGeminiに記事を入力してアイキャッチ画像を生成してもらいました。

私は投資はあまりしないようにしていたのだが、iDeCOや新NISAでオルカン等のインデックス投資信託の積立てを始めた。簡単に言うと、全世界(オールカントリー=オルカン)や米国市場(S&P500等)・国内市場等の経済指標(インデックス)に即した投資を行い、少額を長期的に積み立てることで一時的な景気変動による上げ下げのリスクを分散させながら、世界経済の成長に合わせて資産が増える仕組みの投資商品をいう。大した金額ではないが、始めてみると、ロシアのウクライナ侵攻やトランプの関税政策など全世界経済の安定成長を阻害する事象に対し、「やめてくれ」という思いが強くなった。僅かでも世界の経済情勢と自分自身の経済的な利害関係が一致することにより、興味関心が高まり身近に感じやすくなる。
個人の資産と長期的な国内経済指標や世界経済指標との利害関係が一致するという状態は、とても新鮮に感じる。世には様々な主義主張はあるが、自分の置かれた社会的・経済的立場を害するような主義主張を採用する人は稀である。リベラルの退潮も言われて久しいが、リベラルの価値観に親和的な、安定的な生活を送る中間層が崩壊していることとは無縁ではないであろう。政治過程論で利益集団がロビイングを通じて自己に有利な政策実現を働きかけていく、多様な利益同士が闘争していく場という捉え方がある。このような闘争過程では、短期的な利害が目的とされることが多く、環境問題を始めとする公共的な価値観は反映されにくくなるであろう。また、特に昨今の選挙では、事の真偽や冷静な議論は軽視し、とにかくYouTubeをはじめとするインターネットの広告戦略を成功させ、勢いに乗って躍進する現象が度々起きている。このような状況の下、オルカン等のインデックス投資信託を保有する人が多くいればいるほど、長期的な世界全体の成長という視点からの判断をする契機になるように思われる。究極的には、全世界国民が全世界経済指標の投資商品を通して利害関係を有するようになったら、どの国においても国際協調的な政策が選好されるようになり、戦争も回避されるかもしれない。
先月の参議院議員選挙で与党は全国民に数万円の現金給付をするという話をしていた。仮にそのようなことをするくらいなら、毎月1000円でもインデックス投資信託を付与することが効果的だと思われる。上記のような政治意識に対する効果はあくまで副次的なもので、「貯蓄から投資へ」という経済政策を推し進め、安定的な投資信託が揃うiDeCoの商品群の購入のみに使えるマイナポイントを付与するという仕組みを採用すれば、マイナンバー制度の政策も推し進めることができる。選挙後すぐ現金給付の話自体が立ち消えになったが、また企てられるときがあれば、検討されてもいいように思う。
最後に、今もよく話題になる「〇〇ファースト」という言葉が出てきた頃に書いた記事を発掘して載せておく。当時はやや批判的な見方も多かった感覚であるが、今ではすっかり定着し大手を振って語られるようになった。それでは何ファーストであるべきか、という問い立てもされることもあるが、何かに偏るものではなく、複雑な問題についてバランスよく調整し全体を成長させるのが政治というものであろう。
「じぶんファースト」(旧ブログ:2017-02-21)
働き方改革が叫ばれる中、今月から最終金曜日をプレミアムフライデーとして早めに帰るキャンペーンがされている。何か標語のようなものを考えてみると、アメリカや都民を始めとして昨今「○○ファースト」というのがよく使われているので、「『じぶんファースト』の時間も大切に。」というのはどうかと考えた。
この言葉は論争喚起的である。自己中心を言い換え、助長するものではないかと新聞の投書などに載るであろう。翻って、これまで「○○ファースト」にもやもやと抱かれていた違和感が噴出し、議論になるかもしれない。昨年没後100年を迎えた夏目漱石の、高校の教科書等にもよく載っている「私の個人主義」が言及されるかもしれない。
思うに、「○○ファースト」は内部問題として用いる分には十分な意味がある。一部の層だけが利得を得てばかりの社会ではいけない、政治家は一部の奉仕者ではなく全体の奉仕者でなくてはならない、といったことはすんなり受け入れられることであろう。これが対外的な関係で用いられると、協調を軽視し自己中心的だ、という話になってくる。両者を混同せず、前者の課題解決に力を注ぐのが重要と思われる。
公共空間やスポーツにおける新たな「男女」区別の表現
最近、移動時間中などはGoogleが提供しているAIサービスであるGeminiと日々の関心ごとについてやりとり(俗にいう壁打ち)をすることが多い。先日、トイレの男女のアイコンを見直す声があるとの話題に接したことをきっかけに、以下の旧ブログの記事のように考えていたことも踏まえ、少し考えを進めてみた。
オープンと専用(旧ブログ:2021-03-03)
登山口やサービスエリアのトイレで、女子トイレが行列というのはよくみる光景だ。そういうとき、女性が男子トイレに入ってきて使うというのは私が子供の頃から出くわすことがあった。男性が女子トイレに入って建造物侵入罪に問われることはよくあるが、女性が男子トイレに入って摘発されたという話は聞かない。これは結局トイレの男女の区分けというのは女性の性的羞恥心や性的自由を保護するためにあり、実質的には女性専用とオープン(共用)で区分けするというものなのではないだろうか。スポーツでも男女の区分けはあるが、競馬では現在牡馬限定のレースはなく、牝馬限定かオープンである。女性の生物学的特徴を踏まえて区分けをするものといえる。昨今性的マイノリティへの関心が高まっているが、男女のどちらかではなく、オープンと専用という発想の下で社会的な仕組みを考えるとよいかもしれない。
考える順序としては、何のために区別されているのかという点に立ち返ることである。公共空間における区別は、上記のとおり女性の性的羞恥心や性的自由を保護するためであるだろう。これらの保護には体格差等を含めた生物学的な相異も無視できない。また、スポーツにおいても性的マイノリティが男女どちらで出場するか大きな問題となっているが、スポーツにおける区別は、格闘技における体重別階級と同様に、生物学的な格差に着目して競技性を確保するためであるといえよう。このような目的の下での区別において、社会的意味合いを含む「男女」という表現が用いられることにより、社会的な性に関する自己認識等との抵触の問題が生じやすいと考えられる。
そこで上記の目的に即したよりよい表現について考えてみる。「open」という単語は、スポーツにおける無差別級を指す言葉としても用いられており、このまま採用できるであろう。また、英語においては「female」という単語が動物にも用いられ、生物学的な区別に着目したものといえる。日本語だと「メス」とぞんざいな訳語もあるが、「フィーメル」それ自体は中立的かつ社会的性との違いが明瞭で、性的マイノリティの自己認識との抵触は緩和されるように思われる。これを踏まえて、「open(オープン、誰でも)」と「female-limited(フィーメルリミテッド、生物学的女性限定)」という表現がよいではないかと思う。「オープンエリア/クラス」「FLエリア/クラス」といった感じで公共空間とスポーツの場面のどちらでも使える。広く定着すれば、トイレ等の表記も「OP」と「FL」の文字をデザインすることで代替できるように思われる。

(この記事のアイキャッチ画像をGeminiに生成してもらいました。すごい機能です。)
Geminiによる画像生成を試す。「樹林戦士ジュリアンズ」

樹林戦士ジュリアンズ(旧ブログ:2011-10-26)
第1話時は20XX年,木の葉に秘められたエネルギーを解放し活用する技術が開発された。
エネルギーを自在に扱うには個人の高い技能が必要とされた。
全国各地では扱いに長けた戦士の育成が進められ,同時に様々な品種で研究も進められていった。
クリーンエネルギーの旗手として,温暖化対策を始めとする環境運動の象徴として,大きな期待が寄せられた。
いつしか戦士はジュリアンと呼ばれ,子どもたちのヒーローにもなった。東京都文京区本郷,東京大学本郷キャンパス―発端の地である。
開発の先駆けとなったこの地では,熱心な戦士の育成が行われていた。
用いる木の葉は大学のマークにもなったイチョウである。
銀杏並木の下では,熱心な訓練生たちが自主的に木の葉エネルギー活用の練習をしている。
駒場キャンパスの銀杏並木の下から,厳しい訓練を潜り抜けた者たちだ。
そんな激戦の中,五月祭のイベントで見事ナンバーワンになったイチョウ・ジュリアン,
それがこの話の主人公,撫子田 葉(なでこだ よう)である。現在のジュリアンたちの目下の課題は,ジュリアンたちを襲い,環境破壊を行う闇の集団との対決である。
闇の集団の正体は不明である。全身黒づくめでこつ然と現れ,ジュリアンの弱点である炎を撒き散らす。
「シャドウ・フレイマー」と呼ばれ,全国のジュリアンたちは手を焼いていた。ある秋の日,撫子田はぼんやりと授業を受けていた。
外の銀杏並木は黄金に色づき,一年でも最もパワーが高まる時期だ。
そこへ警報が鳴り響く。都内でシャドウたちにジュリアンが襲われた!
現場に駆けつけるべく飛び出す。生き生きとしたイチョウの葉を携えていく。現場は東京都千代田区千鳥ヶ淵,襲われたのはサクラ・ジュリアンだ。
桜は先に葉が落ちてしまっており,ジュリアンは十分にパワーが出ない。そこを突かれたのだ。
わらわらと取り囲むシャドウたちに,孤軍奮闘のサクラは追い詰められていく。
至近距離に迫られ肉弾戦になれば,女性のサクラは特に不利である。
とどめの炎を撒かれそうになったその時,イチョウが間に合った。シャドウの集団に飛び込むイチョウ・ジュリアン。
手にしていた黄金のイチョウの葉の力を開放する。ジュリン・ア・ラ・モーーードッ!
変身タイムだ。どんな攻撃も寄せ付けないオーラを身にまとう。
一年の中でもパワーの高いイチョウだ。オーラの輝きにたじろぐシャドウたち。
イチョウは有無を言わさず攻撃に入る。イチョウの葉は燃えにくく,シャドウに対抗する力も強い。
シャドウたちは散り散りになった。すぐさま最後のとどめに入る。
新しいイチョウの葉を手に取り,パワーを掌の上の一転に集中する。
瞬く間に解放されたエネルギーが集まり,溢れんばかりのエネルギー弾を前に押し出す。イ・チョ・ウ・ノ・破(は)------ドッカーン!
シャドウは地面の底に消えていった。
起き上がるサクラに手を貸すイチョウ。
大切な木が守られた,周囲の人たちからの大喝采。「やれやれだ,これからの季節,襲撃はどんどん増えていくぞ。」
第2話パワーが弱まる冬をどうするか,ジュリアンたちの課題であった。
そんな中,常緑樹を扱うジュリアンならばパワーの低下は少ないという研究報告を耳にする。
ツバキ・ジュリアン,ヒイラギ・ジュリアンと会い,協力を得よう!
イチョウとサクラはJR上野駅公園口から電車に乗り込んだ。
第X話シャドウたちの正体を掴みかけるイチョウたち。
1人1人の人間の影,現代の人間活動に二酸化炭素の排出は不可欠。
そういえばシャドウを壊滅させるたび,生活が不便になっていくような・・・
シャドウは悪なのか,倒すべきなのか。
ジュリアンたちは大きな問題にたちはだかった!
第Y話シャドウ・フレイマーの真の黒幕はジュリアンの中にいた。
しかも最長老,ヤクスギ・ジュリアンであった。
ヤクスギは言う。私は長年生きてきたヤクスギの記憶を引き継いでいる。
地球史をみてみろ,温暖な世紀のほうが動物も植物も非常に栄えた。
あのころのほうが全体のパワーが満ち溢れていた。
長年の経験から言える,これから地球は寒くなっていく。
君たちは真逆のことをしているのではないか!
この問いかけにイチョウたちジュリアンはどうすべきか。
最後の大きな問題に立ち向かうことになった!
プレゼン植物の種類・季節の特色,植生の楽しい勉強になり,子供の理科離れを防ぐ。
環境問題への関心を呼び起こし,よい教育になる。
全国各地の名所,特産の木・有名な木などをテーマにし,地理の勉強にもなる。
世界の木にまで発展でき,いくらでもシリーズとして話が作れる。
エコを推進する企業の方針にも合致する。
環境問題が人間活動の裏表の関係であることを提示し,
単純な勧善懲悪で割り切れない現代社会の複雑さを学ばせ,情操教育にもなる。
Googleが提供しているAIサービスであるGemini(PCブラウザ版)に、旧ブログに投稿した上記の話を入力した上で、「この話をもとに扉絵を画像生成してください。」と入力すると、一番上のような画像が生成された。実は以前にも雑な手書きのイラストを付けてみることはしたのだが、当然ながら全くクオリティが違う。技術の進歩により簡単にイラストが付けられるようになり、素晴らしすぎて感動した。