法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
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来年の手帳と用途別おすすめの筆記具

お久しぶりです。2019年の手帳を買ったので、そのことと、自分の中でおすすめのボールペンやシャープペンシルを整理してまとめてみます。

来年の手帳はNOLTYに

書店や雑貨屋に行くと来年の手帳が並ぶ季節になった。今の手帳は一応来年の3月まで枠があるので、4月始まりのものにしてもよかった。だが、4月始まりは商品数が少なく選択肢が限られることや、ここで気分一新したい気持ちにもなって、新しいものを購入した。

手帳のサイズは、ずっとA5を使ってきたのだが、昨年はB6にした。今回は更に小さく持ち歩きしやすい方がいいという気持ちになり、スーツの胸ポケットに収まるコンパクトサイズにした。その他の条件としては、バーチカルタイプで付録には路線図があるのがよかった。そこで選択したのがNOLTYのものだ。バーチカルの枠が広く、前の手帳よりも書きやすくなったし、紙質もよく、カバーの後ろ裏表紙に名刺サイズのポケットがあって付箋を収納できてとても便利である。

デイリータイプの手帳で家族の日誌に? 

お店で手帳を探しているときに、torincoというとても質感のよさそうな1日1ページの手帳があった。一昨年から私の発案で家族の連絡帳のようなかたちでB5の方眼ノートを使おうとしたのだが、現在は活用されない状態になってしまっている。1日1ページで日誌のような使い方もできるかな、などと考えている。 

持ち歩きでも折れない0.3mmシャープペンシルはゼブラの「デルガード」

コンパクトサイズの手帳を使うと、芯の細いシャープペンシルを使いたくなる。そこで気になるのが芯の折れだが、芯が折れないシャープペンシルは各社が競って出している。私が試した限りでは、手帳のお供に持ち歩きも想定するとゼブラの「デルガード」がベストチョイスである。ぺんてるのオレンズなど確かに書いている間は折れないのかもしれないが、落とすと中で折れる。 

ゼブラ シャープペン デルガード 0.3 ブルー P-MAS85-BL

ゼブラ シャープペン デルガード 0.3 ブルー P-MAS85-BL

 

万能な多機能ペンはトンボ鉛筆の「モノグラフマルチ」 

持ち歩きを考えた場合、1本で何でも済ませられたら楽である。その点、私の中で最強なのはトンボ鉛筆の「モノグラフマルチ」である。特徴は後ろに性能の高いMONO消しゴムが付いていることで、これ1本で何でも対応できる。ボールペンも書き味がよい。 

トンボ鉛筆 多機能ペン 2&S+消しゴム MONO モノグラフマルチ ブラック CPA-161C
 

長時間筆記ならボールペンもシャープペンシルパイロットの「ドクターグリップ」

大学の講義や講演会などで長時間メモを取る場面、論文試験で長く書く場面では、疲れないことに焦点を当てたペンを選択するのがよい。昔からある定番商品であるが、パイロットの「ドクターグリップ」が一番いいという結論だ。筆圧が強い方にも向いていて、論文試験で時間切れ間近にガシガシ書く場面でもしっかり耐えてくれる。デメリットはグリップが緩んできてしまうことだが、数年は持つし、構造上仕方がないであろう。 

いい紙に綺麗に書くボールペンならぺんてるの「エナージェル」

履歴書や手紙などに鮮やかな線で綺麗に書きたい場合、私のベストチョイスはぺんてるの「エナージェル」だ。 0.3mmから1.0mmまでラインナップにあり、細い線でも太い線でも活用できる。論文試験のお供にも使っていた。

薄い紙にサラサラ書くボールペンならぺんてるの「ビクーニャ

三菱鉛筆ジェットストリームから始まった「軽い」をテーマにした油性ボールペンの分野。論文試験でペラペラの紙に大量の筆記をする必要があった時期に色々と比較検討した結果、私のベストチョイスはぺんてるビクーニャとなった。グリップが固めの弾力性がある独特の質感で、耐久性が高い。インクのかすれも相対的には少ない。

絶対にインクが途切れない安心感のあるボールペンならパイロットの「Vコーン」

ボールペンを使っていて恐怖なのは、インクが途中で出なくなることだ。試験の際は死活問題になる(大学時代にサラサで一度そういう事態に陥ったことがある。)。そのような事態に備えて「お守り」として持っておくボールペンはパイロットの「Vコーン」である。水性インクがドバドバと出てくる。その様子も目に見えるので非常に安心感がある。論文試験の際には必ず1本置いておいた。にじまない紙ならエナージェルと同様に鮮やかな文字が書ける。

パイロット Vコーン【黒】 LVE10EFB
 

カラーボールペンなら種類豊富なゼブラの「サラサ」

カラーボールペンは同じペンで長時間書き続けることも少ない。種類の豊富なものが使いやすい。ゼブラの「サラサ」が色も芯の太さもラインナップが多くあり、揃えるならこのシリーズがいいだろう。 

ゼブラ ジェルボールペン サラサクリップ 0.5 10色 JJ15-10CA

ゼブラ ジェルボールペン サラサクリップ 0.5 10色 JJ15-10CA

 
 

 

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サカナクション「ユリイカ」を聴く

4月から7月までの間は、自分の身体が持つのか心配しながらの生活であった。そんな中、サカナクションの「ユリイカ」という曲を何度も繰り返し繰り返し聴いていた。  

 

 

www.utamap.com

 

この曲を知ったきっかけは、録画していたNHKBSのサカナクションライブ2017を観ている中で、ああ沁みるなあと感じたことだ。終盤の「時が震える 月が消えていく」とのフレーズが繰り返されるシーンは、まるで自分の身体が夜の草原に投げ出されて風に吹かれていくような感覚に陥る。

この曲の歌詞について、私は次のようなものだと考えている。

故郷の大切な人、君が髪を夕陽に染めていた姿を思い出す。東京ではビルに遮られ空から夕陽は差し込んでこない。東京の人は冷淡で淋しくないか、などステレオタイプな心配をしてくれるけど、僕はそういう淋しさは感じない。むしろ、多くの人と触れ合う中で、すべきこと、やらなければならないことが沢山でてきて、それに追われる中で1日が終わり、落ち着く時間や自分の時間がない。生き急いでいる感じがするんだ。そうならないように自分に必死で言い聞かせているんだけど。故郷でゆっくりドクダミの葉を摘む母の姿も思い出す。この急かされて目まぐるしい生活に意味があるとも感じられず、苦しいんだ。急かせる周囲と戻そうとする僕との間で時が震えているよ。月が綺麗と言って君が僕に思いを告げようとしても、空はいよいよ狭く月も消えてしまい、僕には届かないよ。この先に救いとなるひらめき(ユリイカ)があるといいなあ。

「君」は故郷にいる異性のことであろう。東京での淋しさはステレオタイプな冷淡さではなく、むしろ多くの人に囲まれ、関わり合って、競争や儀礼や何やらで忙殺され、他人と色々と比較してしまったりして心も落ち着かず、他人のために生きている感じになってしまい、自分を見失ってしまうことにある。生き急がないように必死に抗おうとすると、消耗してしまう。好意の言い換えとして「月が綺麗ですね」という表現があるが、その声も届かなくなってしまう。

タイトルの「ユリイカ」は、古代ギリシャアルキメデスが発見をしたときに叫んだ言葉から来ているといい、この苦しい状況への打開策、解決策を見つけ出すことを求める意であるように思う。この曲中ではその答えは出ていないと思う。インターネットで検索すると、実際サカナクションはこの曲を制作した時期に非常につらい思いをし、体調も崩していたようだ。

私は東京で生まれ育ったが、学生時代の最後には、競争や周囲との優劣の感覚に囚われて自分が何をしていくべきか見失いがちで辛かった。今でも、いつか東京より少し落ち着いた土地に行きたいな、と考えている。以前にも似たようなことを書いた。 

降りて死んだつもりで生きてみる:就活で自殺する人/「雨上がりの虹」について - 順風Essays Sequel

そしてどのように打開するかだが、生き急がないように抵抗して消耗してしまうより、その状況の絶望的な気分に浸り、向き合ってみることが有効であるように思う。以前にも似たようなことを書いた。

絶望に浸るのも大事:今年もあと半月/DAOKOに夢中 - 順風Essays Sequel

ユリイカ」と両A面シングルとなっている「グッドバイ」という曲は、上記のような辛い時期で自然に湧いて出てきた歌詞とメロディということである。最初に「探していた答えはない」と何かすっきりと解決できるような策があるわけではなく、明快な答えを求める姿勢からもさよならして、不確かなものを受け入れ、格闘し歌い続ける中で見えてくるといった内容と思われる。
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このように、自分の心境と重なる部分が多い内容の曲で、とても沁みる。そして、音楽的にも ハイクオリティで頭から離れないリズムとメロディーも魅力的だ。さらに「時が震える」というワードが持つ広がり(上でも書いたように、自分自身の問題というより超然とした空間・世界の問題に引き込まれるような力を感じる)にも惹かれてやまない。これからも繰り返し聴いていきたい。

グッドバイ/ユリイカ
 

 

【ネタバレ感想】映画「グレイテスト・ショーマン」に大いに感動した話

映画「グレイテスト・ショーマン」の概要

先日、兼ねてから観たいと思っていた映画「グレイテスト・ショーマン」を観た。予想以上に素晴らしく、初回はご飯時にも関わらず涙を流し、すでに5回以上繰り返し観ている。ここにその感動を書き留めておきたい。 

舞台は産業革命後のアメリカ。仕立て屋の息子として経済的に厳しい環境で育ったバーナムは、幼少のころから仕事で出入りしていた上流階級の家の娘であるチャリティと結婚し、2人の娘を持つが、生活は厳しいままであった。事務仕事の職場が倒産したことを受け、奇想天外な物を集めたミュージアムを始めるが、流行らなかった。だが人によるパフォーマンスを発案し、ニューヨークの街中から「奇人変人」を募集し、サーカスのショーをヒットさせ、大成功を収める。しかし上流階級から見下される状況は変わらず、これを克服しようと苦闘する。スウェーデンの歌手ジェニー・リンドと組んで称賛を受け、家族やサーカスのメンバーを置いて全米を回る企画を立ち上げる。しかし途中でリンドと仲違いし降板された上、サーカスはボイコット運動をしていた街の白人労働者との喧嘩で焼け落ちてしまう。全てを失ったバーナムだったが、サーカスのメンバーらに励まされ、「家族」の大切さを噛みしめて、波止場のテントで再起する。

歌やパフォーマンスは素晴らしく、特に、カーライルとアン・ウィーラーの「rewrite the stars」の曲で出てきた「inpossible」や「wall」といったワードが最後の「the greatest show」の曲中、2人のパートで出てきたときは鳥肌が立ったし、ジェニー・リンドの「Never enough」の曲もまだまだ満足しないといった上を目指していくシーンにピッタリでまさに圧巻であった。

 

サーカスのメンバーがあまりに簡単にバーナムを赦している?

私は極上の歌やパフォーマンス、魅力的な登場人物のみならず、本作のストーリーにも大いに感動した。だが、後にインターネットで検索してみると、本作は批評家からの評判がいまいちなようで、レビューサイトでもストーリーがよくない、薄っぺらいとの記述が多くあった。中でも、サーカスのメンバー達がバーナムから置き去りにされていたにもかかわらず、バーナムを簡単に赦すシーンが納得いかないというものをいくつか見た。しかし私自身はこのような評価には同意できない。むしろ、ここでバーナムとサーカスのメンバーで何かひと悶着起こすほうが不自然だと感じる。

まず、サーカスのメンバーは、バーナムから置き去りにされてもサーカスを自分たちの居場所と確信し、守ろうとしていた。バーナムから上流階級とのパーティから締め出されたサーカスのメンバーは、悲しみを振り切って名曲「This is me」を歌い、ショーで上演し、喝采を受ける。そしてバーナムが劇場に来る機会が減っていることに愚痴を述べつつも、サーカスを辞めたりせずに続け、ボイコット運動の人たちと喧嘩をしてまで劇場を守ろうとした。生まれてからサーカスに来るまでの間、親からも疎まれて隠れて生きてきた辛さは、バーナムの仕打ちよりも強いものだったであろう。この問題はサーカスのメンバーの中である程度消化され、ショーにも昇華されていた。

次に、バーナムは、リンドとの仲を踏みとどまり、サーカスに戻ってきた上、自らの命を省みず炎に包まれた劇場に飛び込んでいき、この間サーカスを支えていたカーライルをその手で救い出している。バーナムとの関係で苛立っていたなどとして遠因があったとみることができるにせよ、劇場の火災の直接的な契機は、サーカスのメンバー達がボイコット運動の人たちと起こした喧嘩である。サーカスのメンバーは、今までボイコット運動にもずっと我慢してきたのに、と火災で居場所を失う事態となったことについて自らに全く責任がないとの感覚にはなれないであろう。その中でバーナムが命を懸けてメンバーの命を守ったのである。ここまでやってまず悪態をつくだろうか。やはりリーダーはバーナムだという方が自然ではないか。

さらに、「come alive」の曲に表れていたような、バーナムのサーカス立ち上げ時の力強い希望の言葉は本物であった。バーナムはショーの中心で自らパフォーマンスをしていた。奇人変人を見世物にして偏った受けを狙うだけなら自分は舞台に立たないであろう。2人の娘も客席で心から楽しんで踊り、バーナムは素晴らしいショーだと自信をもって提示していた。バーナムの言葉に真実が含まれていたからこそ、チャリティに始まり、サーカスのメンバーも、カーライルもリンドもバーナムに付いてきたのである。バーナムがサーカスを置き去りにしたとしても、最初の言葉から全て嘘であったと極端に振れることにはならないであろう。

バーナムの変化について、バーナムは「from now on」の曲で「pithole(落とし穴)」にはまったと表現している。この変化の契機となるエピソードは2つある。バーナムの娘がバレエ学校で同輩から「ピーナッツ臭い」(バーナムのサーカスはピーナッツを食べながら見る「ピーナッツショー」と形容されていた。)といじめられているのを目撃したこと、リンドとの初めての公演後のパーティーで衆目に晒された状態でチャリティの父親から「一生仕立て屋の息子だ」と蔑まれたこと、である。私でもこんなことがあれば到底心穏やかではいられない、非常に強い怒りを掻き立てるエピソードである。

そして、妻であるチャリティは生まれが上流階級であり、いくらチャリティの方から綱渡り(tightrope)を一緒にする覚悟を示されたとしても、上のエピソードでの喪失体験を埋め合わせるパートナーにはなり得ないのである。むしろ、チャリティの父親との場面を救い、自らも婚外子としてバーナムと同じような悩みを抱いていたリンドがバーナムの喪失を埋め合わせるパートナーになる。バーナムがリンドとともに突っ走っていってしまうのはよく理解できる。

しかし、他者への反動に基づく行動は、結局他者のために生きていることとなって、自分自身を見失ってしまう。最初のショーで示した情熱も薄れ、自分の周囲の大切な家族も見失ってしまう。バーナムはリンドから求愛を受けた時点でハッと気が付いて、サーカスや家族の元に戻ろうとする。しかし気が付いたのが遅く、一度全てを失ってしまうのである。私としては、このような話の流れや構成は非常によくできていると感じた。

 

誰がバーナムのサーカスを支持し、誰がボイコットしたか。

本作で違和感を感じることがあるとすれば、実在の人物バーナムについて知識がある場合、史実と異なる描かれ方をしている、というものがあるだろう。だが日本ではこのような予備知識は基本的にはなく純粋なフィクションとして楽しめるだろうし、史実と作品は別物と捉えるほうが適切だろう。だが、私もこの作品で違和感を感じなかったわけではない。バーナムのサーカスは、立ち上げから最後までずっと白人男性で構成された肉体労働者の集団から激しいボイコット運動を受けているが、当時、こんなことはなかったのではないか、むしろ現在の社会情勢を投影したものではないか、ということであった。

上流階級が大衆娯楽を見下し受け入れないのはわかる。バーナムはこれを克服しようとしている。だがボイコット運動をしている人たちがあそこまでする理由は見えてこない。あるシーンで「俺たちの街のイメージ」といったことを言うが、街のイメージのためにあのような活動をする人たちには見えない。現在の移民やマイノリティ排斥の動きは、グローバリゼーション等で「自分たちの仕事が奪われている、脅かされている」という経済的観点からの被害者意識が大きいと考えられるが、サーカスが彼らの仕事を奪うことはあり得ない。このような点から、ボイコット運動をする人たちにあまり現実味を抱くことができなかった。

だが、現在を投影していると見たとき、いくつかの示唆を感じることができる。上流階級の人たちとボイコット運動の人たちは接点がない、だがバーナムのサーカスへの拒絶という点では同じ方向を向いている。また、バーナムはもちろん、サーカスのメンバーも、サーカスを楽しむ観客も、登場する誰もボイコット運動の人たちを説得しようとする、楽しさをわかってもらおうとすることを一切しない。最後も特に言及されない。近年、ラストベルト、忘れられた人々といった言葉を聞くが、それに通じるものがあるだろう。

バーナムのサーカスは作中で批判に晒されてばかりといった点が目立つが、非常に人気で大成功を収めている。支持したのは誰かを考えると、産業革命で生まれた中間層であろう。半額クーポンの付いた新聞も読み、経済的にも時間的にもある程度余裕が出てきた人たちである。彼らは純粋にショーを楽しむほか、強い自己主張をせず、政治的にも穏健な立場にみえる。他方、現在のリベラルを投影した人物はいないか探してみると、批評家ではないかとの思いを抱く。最初はスノッブで叩き、サーカスが焼失した後は、自分は安全圏からヒューマニズムだ、再建してほしいと言葉だけで、具体的に力を貸すこともない。

ここまでいくと脱線だろう。だが現在の世界にも思いを馳せて、自分を振り返るのも悪くない。障害にも他者の悪意にも負けず、生きる情熱をぶつけてひたむきに進み、仲間や家族を大切にする。そんなサーカスの皆の生きざまに勇気をもらって、よく生きていこうと思える、素敵な映画であった。