「弱者男性」について考える

最近、インターネットにおいて「弱者男性」という言葉をよく見る。今回はこの「弱者男性」という言葉について個人的に考えたことをまとめてみたい。

 

「弱者男性」概念の3つの特徴

「弱者男性」という概念の特徴として、以下のものが挙げられる。

  1. 経済力の不安
  2. コミュニケーションの不安や孤独感
  3. 恵まれているはずの属性

第一の「経済力の不安」は、産業構造の変化やグローバル化などの経済環境の変化により、日本国内の経済成長が停滞し、全体として安定的な中間層から落ちる人が増加した。また、スキルや能力の重要性が高まり、家庭を犠牲にしてひたすら働くことができるという過去の男性役割像が必ずしも有利に働かない状況となり、性別を問わず苦境に陥る人が多くなったということがあるだろう。

第二の「コミュニケーション不安や孤独感」は、弱者男性というとき地元の友達とワイワイできている人達を指すものではないようにみえ、単純に経済力だけの問題ではなく、人間関係構築に不安を抱えているという要素も大きいようにみえる。過去の男性の「会社人間」像の時代では、職場と家庭以外の居場所を提供するコミュニティが発達していない。家庭に居場所がない男性はスナックなどによく行ったものだが、そのような経済力もなくなってしまった。社会の中でコミュニティが発達していない中、積極的に自分で切り開けるだけの力も教育も受けてきたわけではない。そうなると、経済力がないと女性を含めた人間関係を築く自信が持てず、孤独に陥りやすくなる。他方、女性は第一で述べたような経済環境の変化の前から経済的に不利な立場になりやすいということがあり、これは現在も変わることはないが、長年続いてきたことにより、課題として認識され、地位向上の運動もあり、不十分ながらも政策も打たれてきた。

第三の「恵まれているはずの属性」というのは、自らの不満足な現状に対する社会的に救われる意味を与えられず、自分自身に原因を求められる辛さを生じさせる。高学歴であったが就職に失敗した場合、やっと就いた職場で浮いてしまったり、高学歴なのに使えないなどコンプレックスのはけ口にされたりすることがある。アメリカ合衆国におけるドナルド・トランプ旋風の際、低・中所得の白人労働者層は、人種差別問題において上の立場であった白人の中で経済競争で苦しい状況にあった人達であり、忘れられた人々と表現された。日本の宗教観では神から生きる意味を見出す感覚はなく、周囲との関係や評価に自己存立感を依存しているようにみえることからすると、特に辛さは大きいであろう。

これらの特徴をまとめると、経済環境の変化を主な要因として経済的に苦境に陥る男性が増え、男性には経済力と切り離されたコミュニティや価値観の形成が追いついておらず、辛さが大きいということになる。

 

改善の3つの方向性

次は、上記の特徴を持つ「弱者男性」問題につき、改善の方向性について考えてみたい。

  1. 女性への敵意は本人の状況を悪化させる
  2. 公平かつ多様な競争と役割分担
  3. 大人のコミュニティ形成

第一の「女性への敵意は本人の状況を悪化させる」は、社会問題の提起として「怒り」は大きな力を持つが、これを女性に向けることは解決に繋がるとは考えにくい上、こうした敵意を示す人は人間関係を築きにくくなるばかりであるということである。自ら状況を悪化させて増々相手にされず更に敵意を増すという悪循環にも陥りかねない。少なくとも、個人の振る舞いとして目の前の人には社会問題や属性とは切り分けて真摯に接するべきであるし、その人と相性が悪ければまた別の人を探せばよいという姿勢が重要である。

 第二の「公平かつ多様な競争と役割分担」は、現代人の在り方として、できるだけ性別に捕らわれない競争環境や役割分担像を追求することである。まず働き方に関しては、数年前に「働く女子の運命」という本の「マミートラックこそノーマルトラック」との言葉を紹介したように(下のリンク参照)、男女問わず家庭と両立可能な仕事量を標準的なものとすることが考えられる。これにより家庭の役割分担も均等にしやすくなり、仕事での競争も男女間で公平に近づいていく。性別を問わず家庭も仕事も同じようにするというのを基本とし、個人ごと得意不得意がある部分は役割分担をしていく関係性というのが今後の在り方のように思われる。

リンク:最近買った本と、今後の更新予定 - 順風Essays Sequel

また、一度転落すると戻るのが難しいという状況を是正し、失敗してもいつでも再挑戦できるように、多様な競争機会を確保することが必要である。「働き方改革」が叫ばれてはいたものの変化は大きくはなかったが、昨今はテレワークなど働き方については大きな変化が訪れており、その方向性がこれらに向かうことを期待している。

第三の「大人のコミュニティ形成」は、コミュニケーション不安の課題解決のために行うものである。ただし、コミュニティ形成は私的領域に属するものであり、国や自治体が直接用意するといった方法はなじまない。上記のように仕事の負担が私生活と両立可能になれば、多くの人がいつの年齢でもコミュニティに参加しやすくなるだろう。心理カウンセラーの相談を受けやすくするといったことも考えられるだろうか。洋画では日常のような感覚でカウンセリングを受けているシーンを見る。

 

私の「弱者男性」回避とハウツー

私は大学新卒で資格試験を目指し就職活動をしなかった上、学生時代は吃音がありコミュニケーション能力にも自信がなかったので、無職の危機を感じる時期があり、必死で食らいついて今のところ一応の生活ができている(今後はわからないけど)。結婚も早くはなかった。上で書いたような改善の話は社会的なもので、すぐに状況が変わるわけでもないので、今個人としてできることを簡単にまとめてみたい。生存者バイアスとか上から目線とかになるかもしれないが、個人的な体験からということでご容赦いただきたい。

まずは行動計画やセルフケアのようなもの。

  1. ノートに書きだして自己内対話をする
  2. 細分化して実現可能な程度の小さな目標を積み重ねる
  3. 習い事などをしてコミュニティに入る

第一の「ノートに書きだして自己内対話をする」は、辛いと自分がどういう状況なのかも認識できない状況になるので、整理することである。最初の話し相手は自分ということである。まず今の状態が快か不快か、日常のどういうときに快となり不快となるかというのを挙げてみる。脳の構造上、偏桃体で最初に快か不快かというのが生まれ、前頭葉で制御するという仕組みらしい。頭でっかちになるとそもそも自分が快か不快かすら認識しにくくなる。こうして整理していくと、自分が何故辛く、どういうことをすれば嬉しくなるのかが何となくわかってくる。

第二の「細分化して実現可能な程度の小さな目標を積み重ねる」は、やりたいことを見つけたら、それに繋がる手近な目標を立てて、それを達成するというのを積み重ねることである。その方が続きやすい。そもそもやりたいことがないというとき、辛い気持ちの中で負担をかけずできることは、テレビやネットサーフィンのような受動的な情報収集、次は図書館や本屋などのお店をぐるっと回って色々なジャンルがあるなあと感じることである。もし三日坊主でもだいたいの人がそうなので、興味が薄れたということで、落ち込まず次のことをすればよい。また反対に、辛いときは今までのことを一気に取り返すような大きいことをしたいという欲求に駆られるかもしれないが、それは控えた方がよい。一歩ずつ積み重ねるしかないのである。

第三の「習い事などをしてコミュニティに入る」は、少し元気が出てきたら人との繋がりを持つため習い事を始めてみたり趣味の集まりに参加してみたりするのがよいであろう。上の作業で自己理解が進めば他の人に自分をどう紹介すればよいのか考えやすくなるだろう。初心者として新しいことを習うと謙虚な気持ちにもなる。辛いとき心理的負担をあまりかけず入れるのは、ゲームのコミュニティとかタレントやアーティストのファンサークルであろうか。

この辺りは私は専門家ではないので、色々と情報収集してみるとよいだろう。個人的には下のブログ記事でも紹介した樺沢紫苑さんの動画や著作がお勧めである。

リンク:インプット・アウトプット - 順風ESSAYS

 

「弱者男性」の話の中では恋愛関係を築けない悩みみたいな話もよくみる。恋愛関係についてのハウツーとしては、以下のようなものがある。

  1. 自然な出会いは基本的に捨てる 
  2. ありのままを受け入れてくれるというのは幻想
  3. 重要な段階を踏む場合は事前に予告をする

第一の「自然な出会いは基本的に捨てる」は、職場など恋愛とは別の目的で接している人と恋愛関係に発展することはコミュニケーション能力的にハードルが高いし、仕事に影響が出たら元も子もないので自分から積極的にはしないと決め、友人の紹介や合コン、マッチングなど最初から恋愛関係を意識した方法でパートナーを探すことを第一に考えるということである。職場などの関係は、お世話好きな人から紹介話をされるような関係性を持つこと程度を目標にしておくのがよい。どうしても仕事上の関係の人に恋してしまった場合は、仕事とは別であると前置きをして一緒に食事などどうかと誘い、相手が乗り気でなさそうならそれ以上は深入りしない。

第二の「ありのままを受け入れてくれるというのは幻想」というのは、相手を知り、合わせるため自分も変わる努力をするなど関係性を維持するための行動が必要だということである。趣味が違うなら合わないとかではなく、相手の趣味について色々聴き、一緒にやってみたりして楽しめるかなど努力するのである。自分の世界が広がることにもなる。自分は何もしないで理解してくれるような聖母のような存在を求めるのは間違いである。結婚相手というのも、不満も一杯あるが、家族として日常生活を一緒に送っていることが何となく安心感があるといった感じのものである。

第三の「重要な段階を踏む場合は事前に予告をする」というのは、自分の思いが先走りすぎて相手が受け入れる用意もない状態で告白したりすると困らせるし成功しにくいということである。コミュニケーション能力に不安があるのにサプライズのようなリスクがある方法は捨てる。デートを何回か重ねて、食事の終わりくらいのときや次回の相談をするときに「次会うとき大事な話したいんだけど」と予告をしておく。この話を前提に次回の約束にも応じてくれた場合は基本的に成功する。

他のハウツーとしては、身だしなみであろうか。私服についていえば、ボトムズユニクロの感動パンツ、トップスはユナイテッドアローズビームスあたり、靴はリーガルのカジュアル、鞄はビジネスレザーファクトリーなどで皮系のものにしておけば十分でなかろうか。私も服装でもデート中の言動でも色々と失敗をしたが、時間が経てば過ぎ去るものだし切り替えて次に活かすことを考えるのがよい。

 

NiziUの素晴らしさを語りたい

NiziUと私

NiziUは、TWICEなどを手掛ける韓国のJYP Entertainmentと、YOASOBI、LisA、米津玄師など日本国内で次々とヒットを飛ばしているソニーミュージックがタッグを組んで生まれた女性アイドルグループである。私は昨年、Huluの無料体験期間に妻の友人からの勧めで一緒にNizi Projectを観るようになったところ、すっかり好きになってしまった。シングルCDも発売間もなく購入した。ファンクラブには手を出していないが(私は人生で一度もファンクラブというものに入ったことがない。)、出演するテレビ番組を録画したり、タイアップの商品を買ったり、NiziUファンのYouTubeチャンネル(おにくかんこく、サランピtv)を見たりしている。以下では、私が感じたNiziUの魅力についてまとめてみたい。

 

Nizi Projectの素晴らしさ

NiziUについて気になったら、まずはオーディションの過程を描いたNizi Projectを観るのがお勧めである。Youtubeで短縮版だが無料公開されている。これまでオーディション番組やリアリティショーは、ギスギスした人間関係や圧迫感があるイメージがあり、好きではなかった。だが、Nizi Projectは、明るい雰囲気作り、JYParkやスタッフが参加者を一人の人間として尊重して扱う姿勢、よく考えられた納得感のある構成、参加者のレベルアップが実感できるパフォーマンスで、見るのがしんどいと思うことがなかった。

youtube.com

Nizi Projectでのオーディションの過程は、全国各地での地域オーディションに始まり、東京で数日間使った合宿(個人でダンス、歌、スター性の実演の後、グループ実演に人柄評価を加える。)で14人に選抜して、韓国合宿においてJYPEntertainment施設で約半年間をかけた最終オーディション(個人レベルテスト→4チームグループ実演→3チームグループ実演→2チームグループ実演→最終選抜)を行うというものである。

見る側にとっては、歌、ダンス、スター性、人柄と選考する視点が明示され、各ミッションで与えられる課題や組み合わせもよく考えられ、JYPark自身が一流アーティストであることによる話の説得力がすごいものがあり、非常に楽しめた。中でも特に唸ったのは、東京合宿でリオのダンスにダンサーのようだというのは誉め言葉ではないと話したところや、韓国合宿の個人レベルテストでニナに自分の課題を考えてパフォーマンスするように話したところである。また、人柄を選考基準にし、最終的なメンバー人数を決めなかったことで全体の雰囲気をよくすることにも成功していたと感じる。

勝手ながら企画側の視点から見てみると、最終的なグループの質や実力の水準を確保するため、JYPEntertainmentは日本人練習生を複数抱え日本進出の準備を進めていたように見える。練習生からはマコ、ミイヒ、リマ、ユナが参加しており、それぞれ強みも異なる。東京合宿まではこれらの練習生が高いパフォーマンスを発揮し、他の参加者に危機感を与えるとともに、グループワークで引っ張る役割を担った。

韓国合宿では、 練習生の中でユナの調子が悪く、成長というテーマなどからしても選びにくくなってしまった。ミッション2では成長著しいリクと組ませて何かを発見できることを期待されたが、あまり相性がよくなく、パフォーマンスもよくなかった。そこに入り込んだのがマユカで、ミッション3でのハートビートのパフォーマンスで、JYParkは驚きと喜びを隠さず、ユナを入れてしようとしていたことを十分に務められるという見込みが立ったのではないか。

アヤカはグループのバランス上どうしても最終メンバーに必要な参加者であったが(他に高身長がいない。)、実力に不安があった。アヤカの成長がない場合はモモカを選ぶことを考えていたように見える。ミッション1の個人レベルテストでJYParkはモモカにアヤカと比較するようなコメントをし、ミッション2のパフォーマンスでアヤカの方に成長が認められ、ミッション3では同じグループに入れてマコに指導させて、モモカ脱落の判断に至ったのではないか。

韓国合宿では、中核メンバーとしてマコ、ミイヒ、リマ、マヤ、グループに必要な個性を持つメンバとしてニナとアヤカ、その他の中で実力が高く目立っていたのがリクとリオという感じのように見えた。圧倒的な実力でなければ少しの機微で決まってしまうのは仕方のないことである。JYParkの講義の後、参加者全員に最終メンバーを絞るとしたら誰が入るかというアンケートが実施されたが、中核メンバーには一緒に組みたい参加者、その他のメンバーには自ら入る意欲をみるもので、最終の判断に影響したであろう。

準備期間が短い参加者の中で明暗を分けたのは「体力」のように思う。リクは空手、アヤカはテニス、マユカはダンスなどスポーツの経験があり、短期間の密度の濃いプログラムに食らいつくだけの体力があったように思う。リリアは個人レベルテストで体力の問題から振付を変更し、アカリも病気の影響があった。どんなに気持ちがあっても体力的に厳しく苦しい様子を見せていると比較して練習への取組態度が低く評価されてしまいがちである。

  

NiziUの楽曲とパフォーマンスの素晴らしさ

NiziUの楽曲はMake you Happyが大ブームを起こした後、シングルCDが2枚、デジタルリリース楽曲1つ出され、YouTubeでNiziU scoutというバラエティ番組が出されている。さすがに当初の勢いが続いているとはいい難いが、コロナ禍の情勢下、昨年は巣ごもり1年目で新たなヒットがたくさん生まれたが、今年は他にも全国的にヒットらしいヒットがない状況で、環境的に厳しいところがあるだろう。

新曲リリース→音楽番組出演の後、テレビ出演が途切れる感じになるのが残念である。特に今求められているのは、JYParkとNiziUメンバーの対談や指導場面特集だと思う。NiziUはJYParkとの関わりなくしてNizi Projectと同様の魅力は発揮されない。プロとして単独で人気を得ることを求められるともいえるが、日本向けに成長物語とともに短期間の準備期間でデビューさせているのだから、もう少し関わりがあってよいだろう。すなわち、JYPark自身がNiziUの各メンバーとの関りを示しながら楽曲やダンスのテーマや狙いなどを話すような番組である。将来は韓国語講座とかやってもらっても面白い。

楽曲とパフォーマンスは確実にレベルアップしており、特に私が感動したのはTake a PictureとPoppin' Shakin'である。難度の上がったダンスをきちんとこなし、音楽番組でも見事にパフォーマンスした。その分、Make you Happyのように皆で真似することは難しくなってしまった。簡易振付バージョンとか初級編とかあれば面白いが、皆もダンスのレベルアップをする必要があるのかもしれない。

また、楽曲の内容が全年齢向けを貫いているところが素晴らしい。変に男に媚びない。令和の新時代にあるべき価値観を体現している。JYPの楽曲は女性の可愛らしさなど扱うものもあるが、男性目線の嫌らしさを感じないのがすごい。Nizi Projectでみられたような、アーティストは誰かのための道具ではなく、アーティスト自身が一人の人間であるという捉え方を感じる。東京オリンピックでもみられたような、結局は上の世代の価値観で進むような状況の中、新時代の風を外から取り入れるのもよいと思う。

 

コロナ禍のオリンピック

新型コロナウイルスの脅威がまだ止まない中、東京オリンピックの開催が迫ろうとしている。オリンピックの開催については是非が議論されてきたが、私個人としては、東京に住んでいないし、元々オリンピックもそこまで興味がないし、どちらでもいいやという感覚である。

これまでのオリンピックに関する動きを見てきて思うのは、オリンピックにおいて同時にたくさんの競技を行うことがどこまで本質的なのだろうか、ということである。私も仕事でイベントごとは新型コロナウイルス対策のためオンラインにしたり対面が必要なときも少人数で複数回分けて行うなどしている。オリンピックも競技を小分けにしてひとつずつ丁寧に時間をかけて行なっていけばいいのではないか。そうすれば人がたくさん集まることもないし、ステイホーム期間の楽しみを長く提供できるし、オリンピック運営のための人材も節約できるのではないか。アスリートも4年に一度の舞台に集中できる。延期にしたのだから日程も組むことができたであろう。マラソンも真夏からずらすことができる。

過去のオリンピックは同時にたくさんのチャンネルでいろんな競技が行われ、とても全て追いきれるものではなく、結局人気のある競技以外はメダルをとったりしない限り注目されない。また、あっという間に終わってしまうと言う印象である。個々の競技でも、私はサイクルロードレースが好きなのだが、リオオリンピックの NHK の実況アナウンサーは当時ツールドフランスを優勝したクリスフルームくらいしか知らず、解説もなぜか元競輪選手で、全く魅力のない番組作りで質が高くなかった。ひとつずつ出場選手のキャリアや出場を勝ち取るまでの大会を一緒に放送するなどすれば盛り上がりを作ることもできるし、これまでにないアスリートに寄り添った深い見せ方ができるように思う。アスリートファーストの視点に立てば、このようにするのが最善ではないか。

結局、あまねく競技が一堂に会するということがなければコンテンツとして魅力がないと企画運営している者自身が考えているのであろう。果たしてそうなのだろうか。オリンピックの運営のトップは第一線から退いた方々の花道のようなポジションであり、今回のような国民の命や健康との選択を迫られるなどハードな状況に対処するだけの覚悟や体制があるものではないと感じられる。