コロナ禍のオリンピック

新型コロナウイルスの脅威がまだ止まない中、東京オリンピックの開催が迫ろうとしている。オリンピックの開催については是非が議論されてきたが、私個人としては、東京に住んでいないし、元々オリンピックもそこまで興味がないし、どちらでもいいやという感覚である。

これまでのオリンピックに関する動きを見てきて思うのは、オリンピックにおいて同時にたくさんの競技を行うことがどこまで本質的なのだろうか、ということである。私も仕事でイベントごとは新型コロナウイルス対策のためオンラインにしたり対面が必要なときも少人数で複数回分けて行うなどしている。オリンピックも競技を小分けにしてひとつずつ丁寧に時間をかけて行なっていけばいいのではないか。そうすれば人がたくさん集まることもないし、ステイホーム期間の楽しみを長く提供できるし、オリンピック運営のための人材も節約できるのではないか。アスリートも4年に一度の舞台に集中できる。延期にしたのだから日程も組むことができたであろう。マラソンも真夏からずらすことができる。

過去のオリンピックは同時にたくさんのチャンネルでいろんな競技が行われ、とても全て追いきれるものではなく、結局人気のある競技以外はメダルをとったりしない限り注目されない。また、あっという間に終わってしまうと言う印象である。個々の競技でも、私はサイクルロードレースが好きなのだが、リオオリンピックの NHK の実況アナウンサーは当時ツールドフランスを優勝したクリスフルームくらいしか知らず、解説もなぜか元競輪選手で、全く魅力のない番組作りで質が高くなかった。ひとつずつ出場選手のキャリアや出場を勝ち取るまでの大会を一緒に放送するなどすれば盛り上がりを作ることもできるし、これまでにないアスリートに寄り添った深い見せ方ができるように思う。アスリートファーストの視点に立てば、このようにするのが最善ではないか。

結局、あまねく競技が一堂に会するということがなければコンテンツとして魅力がないと企画運営している者自身が考えているのであろう。果たしてそうなのだろうか。オリンピックの運営のトップは第一線から退いた方々の花道のようなポジションであり、今回のような国民の命や健康との選択を迫られるなどハードな状況に対処するだけの覚悟や体制があるものではないと感じられる。