コロナ禍

新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。私は東京で生まれ育ったのだが、東日本大震災の時期は九州におり、昨年の初めに東京から妻の地縁がある地方に移住したので、幸運にも災害などの直撃を免れている。また、昨年末に買い物の負担を減らそうとふるさと納税で大量のトイレットペーパーとティッシュペーパーを入手し、花粉症シーズン前に買い置きしていたマスクの在庫もまだ残っており、物資の面でも幸運に恵まれている。

とはいえ、東京に高齢で基礎疾患のある両親や親族を残しており、心配である。仕事や外出が控えられているためか、いつもより頻繁に連絡が来る。私の住む場所もいつ感染爆発するかわからないし、ひとつの気の緩みで感染してしまえば、周囲の人の健康や命を脅かしかねず、多方面に迷惑をかける。自宅のマスクの在庫がなくなるまでに生産や流通が戻るかも不透明である。

とにかく自分ができることをしていかなければならない。下の記事によるとウイルスは物に付着しても3日間くらい残る可能性があるようであり、手洗いをするとともに、なるべく手で口や鼻に触れないことに注意を払う必要がある。材質を問わずマスクをしていると無意識に手が口や鼻に触れる機会を少なくすることができる。

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そして、自身の免疫力を高めることが必要である。睡眠時間を確保し、適度な運動をし(エアロバイクを購入しておいてよかった。)、室温管理等に気を配ることが考えられる。幸い宴会など乱れの原因となるイベントは中止となっている。また、効果は限定的であろうが、感謝の気持ちを持つことでオキシトシンというホルモンが出て免疫力が高まるらしい。今健康であることを感謝し、毎食事に味や匂いを感じられる(感染すると感じない症状が出るらしい。)ことに感謝しながら過ごすのがよいだろう。

私が普段から指針としているのは、「政府は個々人(自分)の生命と健康を最優先には考えてくれない。自分と大切な人の生命と健康は自分たちで守らないといけない。」ということである。今回でも、インバウンド需要、中国要人訪日、東京オリンピックなど別のことが優先にされ、何より東京が危機にならないと本気出さない。また、最後の最後になっても支持率や政権の維持より優先されることはないだろうと感じている。支持率が短期間で戻ってしまったため、経済対策の緊急性が下がってしまったように思う。10万円とかお肉券とか観測気球を飛ばし反応をみる平時の手法が使われ、無用な混乱を生んだ。早期に安心させる必要があったが、方針決定までこれだけ時間をかけた時点で効果は乏しくなるだろう。

この背景のひとつには価値観の問題があると思われる。日本はもともと宗教的に個人の生命と健康を第一に考える傾向にない。また、経産省の人がSNSで国民について「ひとしきり文句垂れていただいた」などと書いたことが話題となっているが、私も東大法学部にいた頃のことを思うと、意識して活動しない限り、国民というのは統計上の数字のようなリアリティのない存在の認識にとどまってしまうと感じている。そして、役所に進んでも、以前「情報公開で国が滅ぶ」で話題となったように、改まるどころか何やら迷惑な存在のような感覚になる経験しかできないのだろう。

また、最近の傾向として、法解釈や法運用の能力が下がっているようにみられるのが気にかかる。最初の自粛要請の際、補償は当然でつまらない質問との話があったが、法的に当然とはいえない問題であり、実際現在では補償はできないという話になっている。他にも、検察官の定年延長、新型インフルエンザ特措法の適用関係など疑問を抱くことが多い。法律上行動を制限できないというが、2月に法改正したときに盛り込まなかっただけであるし、その法律上定められた緊急事態宣言すら活用していない段階で憲法がどうとか言い始めている。公衆衛生上の内在的制約で営業の自由は現憲法下でも今より進んだ制約でも許容されるだろう。

全体として能力が下がっているわけではなく、方針を決める段階で十分な知識のある方の関与や調査がなされておらず、後付けで正当化に追われるような体制になっているのだろう。体制については、官僚機構の年次で出世レースをするキャリアシステムが悪化を助長しているようにみえる。正論が通らない時期はやり過ごして、ということができず、限られた今一度のチャンスでポストを掴んで、後は知らないで終わることができる。

その他、色々とみていて感じるのは、「経済死」への恐怖心が強いことだ。資格の受験期間に無職の危機を感じたり、仕事で破産事件等にも関わったりした経験からすると、経済的な問題は医療的な問題よりも人々の助け合いと知恵と工夫で回避する余地がはるかに大きい。とはいえ事業が破綻すると元に戻るまでには時間と労力が大きくかかる。少なくとも最低限事業継続できるような支援・保障があると望ましい。「補償」というと元通りの利益まで取らせるような印象になるので、全体の共感は得られにくいであろう。今回のことで自ら死を選ぶ人が出ないことを祈る。