法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
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2018年最初の投稿

2018年最初の投稿になる。3か月以上更新が開いてしまった。身体がもつかどうかのラインで仕事が大変というのが理由で、年度末を超え、生活全般を立て直していきたい。まずは軽めに最近気が付いたことを簡単に書き連ねてみる。

 

法治国家では、国がある制度を作った場合、法令で明文化される。近年の法律は、第1条に目的規定、第2条に定義規定という作りになっており、導入に至るまでにあれこれ議論され、最終的にできた制度がどのような目的として整理されたのか、法律の第1条をみて確認するのは有用である。10年近く前の学生時代にも、裁判員制度について書かれた記事をみかけて、法の目的の理解が誤っているので議論がずれているのではないかといったことを書いたことがある。

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最近、ふと平成28年に制定されたヘイトスピーチ解消法の条文みて、新鮮に思った。目的規定の前に、次に引用する前文が付いていて、国民に向け、一定の価値判断を含んだメッセージ性の強い宣言が記述されている。自民党公明党の与党の議員立法とのことである。

 我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することを煽せん 動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。

そして、第1条の目的規定では、「喫緊の課題」との位置付けがされている。

この法律は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消が喫緊の課題であることに鑑み、その解消に向けた取組について、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、基本的施策を定め、これを推進することを目的とする。

 

また、最近、情報公開で国が滅ぶといったことがはてなブックマーク界隈で話題となっていた。「行政機関の保有する情報の公開に関する法律 」の第1条をみてみると、次のような記述がある。

この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。

ここで「権利」という位置付けになっていることがひとつのポイントで、単なる恩恵やサービスではなく、全うできなければ裁判を通じて実現されるべきものとなっている。また、その根拠が国民主権・民主主義であることも明らかとなっている。そして、開示請求権を定めた第5条は、以下のように原則公開・例外非公開とする作りになっている。仮に開示に行政側に裁量があれば「開示できる」といった規定ぶりになる。

行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。

また、粗さがしのような濫用的な請求と現場の負担や効率性について話題になっているが、「情報公開請求権の濫用」という問題は以前からあり、検索すれば色々と論考が出てくる。権利濫用は一般法理で明文がなくても機能し、実際に濫用的な場合に開示拒否できるとする裁判例も存在している。これを明文化する法改正案(上記の第5条に次の下線部分のようなただし書を入れて留保をつける。)は民主党政権時代の第177回国会で出されているが、現在までに改正は実現していない。理由は知らない。

国会提出法案(第177回 通常国会)

行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。ただし、当該開示請求が権利の濫用又は公の秩序若しくは善良の風俗に反すると認められる場合に該当するときは、この限りでない。

さらに、行政機関の文書管理全体に係る現在の概要と課題については、国立国会図書館が提供しているIssueBriefの第998号で数ページにまとめられていて簡単に読める。

『調査と情報-Issue Brief-』|国立国会図書館―National Diet Library

 

そもそもインターネットで議論は成立しないものだが、仮にあるとすれば、個人的には、公開されている上記のような情報や知識を前提とし、情緒的な非難や応酬のないものを読みたいところである。参照・解説をしてつなぐ役割を担うサービスが充実すれば、少しは変わるかもしれない。そして、インターネットが発達したとはいえど、世の中の「空気」を作るのに、今なおテレビの影響力が大部分のように感じる。個人的には、認知や意識の問題のように感じている。テレビのニュースやワイドショーで上位に取り上げられない=報じられていないと認知されているようにみえる。テレビで上位で取り上げられるのは、構造的に病理現象かつ視聴率が取れるものに限られてくる。昔読んだ以下の本に、とても強烈な表現の一節があり、印象深かったのを思い出した。 

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

 

…新聞は(中略)きちんと書いているんだけれど、日本人の実質識字率は五パーセントだから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく…(文庫版97頁)

 

最近、「100年後に今がどのように語られるか」ということを考える。100年後に胸を張れる仕事がされているのか疑問に思うことが多い。フェイクニュースオルタナティブファクト、反知性主義といった近時の用語からすると、近代国家の原理原則や知識・学識が軽視された時代ということになるかもしれない。学生時代の初めに合理的であることが重要なのではと書いたことがあった。今は必ずしもそうではないが、歴史の試練を耐えるのは合理性が高いものであろう。少なくとも、自分自身としては100年後も胸を張れるような意識で目の前のことをコツコツとやっていきたい。

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以上、まとまりなくつらつらと。次の更新は5月くらいにできたらいいな。