「真田丸」最終回に向けて

真田丸」最終回が近づく

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NHK大河ドラマ真田丸」は人気のようで、私の職場で話題になることも多く、前回ブログに書いた記事も検索でのアクセスが相当ある。今週の日曜で最終回を迎える予定で、日ごろドラマを観る習慣のない私でも何とか楽しんで見続けることができた。購読している朝日新聞の夕刊でたまに真田丸の脚本家の方のコラムが掲載されているのだが、視聴率や視聴者からの手紙に一喜一憂している様子も時折書かれていて、気にされているのが少し意外にも思え、また人間味も感じている。

 

幸村ときりとの関係に決着!

上のとおり、前回のブログ記事では幸村ときりとの関係について書いたが、二人の関係は一応の決着をみたと言っていいだろう。結局きりが幸村の側室にはならず、最後の決戦の直前、正室のはるを伊達政宗の元に送った後、二人だけとなり、きりが幸村のいない人生つまらないと話したのを受けて、幸村が抱きかかえ、遅いなどと文句が出されつつも抱き合う、という展開であった。

前回のブログ記事では、二人が結ばれるには幸村の心境の変化と正室のはるを乗り越える必要があると考えたが、きりの台詞はよかったと評判で、これだけで幸村を突き動かしたともいえる。他方、正室のはるが障害になっていたとの一面はやはりあったようにみえる。兄の信之が何だかんだ言いながら浮気をしつつ立場を守っているのと較べると、幸村が義理堅いようにも思えるが、当時側室をもつことは当たり前であったことからすると、幸村がはるを怖がっていただけではないかとも感じてしまった。

きりの立場には諸説あると解説があったが、真田丸では結果として昌幸の頃から最後まで忠義を尽くした高梨内記の血筋はさしたる理由もなく途絶えることが決まってしまっており、せめて高梨内記は抱き合う二人の様子を傍らからでも見て、娘の幸せな表情をかみしめて最後に戦に臨んでいってほしい。武士の主従関係を片務的に描くのはやや危うさも感じる。

 

人が死なない策を練る信繁と死に行く幸村

真田家は関ケ原の戦いで戦略的に家を分かつなど知略をもって戦国の世を生き残ったとの評価があり、真田丸でも「生き残る」という価値観が強調されてきた。これは現代人の価値観にも合うものである。若き信繁が練る策は人が死なない方向性でまとめられ、戦のない世を求めていると口に出しており、関ケ原の戦い以降は兄の信之が事あるごとに徳川への忠義よりも優先して死なないようにと繰り返し述べている。

だが、信繁が幸村となり、大坂城に入って以降は、自身を含め人が死なない選択肢も提示されながら、幸村は自らこれを選択していないようにみえる。特に大坂夏の陣にあたっては、秀頼自身も地方に下ってもいいと話しており、幸村にも信之まで出てきて信濃一国が提示され、後ろに控えていた堀田作兵衛も心が揺れていたが、幸村はあまり明確な理由は述べず拒否している。正室のはるを送り出す際は最後ではないと話しつつも、きりとのシーンでは死を覚悟しているようにもみえる。おじの信伊からは生きたいように生きよと背中を押されているが、どちらが真の思いであるのだろうか。

現時点では、生き残りを選択肢として本気で考えているのか、はっきりとわからない。最終決戦で幸村がどのような思いでどのような行動をとるのか、この観点から最終回を楽しみにしている。また、生き残りという意味では、史実からすると長宗我部盛親や切支丹の明石全登が自ら死は選ばない価値観を有していると考えられ、前回の敗走で終わりの可能性もあるが、もし最終回で登場した場合、彼らがどのように描かれるかも楽しみである。

 

父・昌幸を超える!

上で述べた幸村の二面性は、これまでの話の筋と史実との両立の問題であろうか。これをひとつ調整するひとつの展開として、「幸村の父・昌幸超え」という文脈を持ってくることが考えられる。

真田丸での昌幸は、面従腹背で裏切りを重ねたが、これもすべて当初の主君である武田への忠義を尽くすためであった、と総括されている。幸村は大坂城に入るにあたり昌幸の一字を受け継ぐことにした。信伊は大坂冬の陣で幸村の説得に行く際、幸村は昌幸と同様知略が回るが、昌幸と異なり義にも厚いと徳川に話すシーンがあった。前回では徳川家康豊臣秀吉の恩義を感じていると話すシーンがあった。そして、幸村に提示された条件は父が野望を抱いていた信濃一国であり、実際信伊らからはこの観点から説得が試みられた。

ここで幸村が拒否する理由として考えられるのは、次のようなものである。「父・昌幸は武田への忠義を果たすため信濃・甲斐を手に入れることを望んでいた。拙者にとっての忠義は豊臣の太閤殿下への御恩に報いることである。父は果たせなかったが、拙者は必ずや果たしてみせる。それが父・昌幸の字を受け継いだ我の真に望む生き方よ。これを果たせば、拙者以上の兵(つわもの)は日本(ひのもと)には今後現れないと、誰も拙者を超えられるとは思わず、超えようとしない。それが戦のない世ももたらすのだ。」

ということで、父・昌幸に付いていくだけとコンプレックスもやや見せていた幸村が名実ともに父を超える瞬間として大坂夏の陣を意味づけることができないだろうか。ともあれ、最終回を楽しみにしている。

 

やっぱり、はてなオリジナルグッズが欲しい。

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

キャンペーンの最終日で、時間もギリギリになってしまったが、再び、グッズが欲しいという単純かつ切実な動機から、「5年後の自分へ」とのお題に沿って記事を書こうと思う。

とにかく、生きていますように!

先日、子供の頃から20年くらい使ってきたデスクスタンドがお亡くなりになってしまった。気が付いたら点かなくなって、中の蛍光灯を新しく買ってきて交換しても反応がなく、タッチインバーター式なので自力での修理は不可能、お手上げになってしまった。他にも、一人暮らしを始めたときに買ったヘアドライヤーのプラグが発熱するようになり、これはやばいと買い替えたり、青春時代(?)の苦楽を共にした道具たちの寿命が訪れている。

私自身も、体調の変わり目に差し掛かってきたのか、これまでタフなのが売りとの自己認識で、風邪をひくこともなくやってきたが、昨年複数回体調を崩すことがあり、健康診断でも問題を指摘され、これまでのように負荷はかけられなくなっている。親も高齢になり通院や入院が増えてきて、自分の人生の前半が緩やかに終わりに近づいているのを感じている。

しかしながら、悪いことばかりあるわけではない。年齢を重ねて体力的には低下するにしても、自律神経などは安定してくるそうで、確かに学生時代に悩まされた寝つきの悪さなどはすっかり解消されてしまった。過剰気味であった自意識にも変化があり、意識の統制下に身体があるというより、身体を生かすための機能として意識が備わっているといった感覚になる。異性のパートナーがいる生活が普通になり、孤独感のようなものもなくなってきた。身体の変化に適応し、健康問題を解決した上で、家族関係のライフイベントがひと段落すれば、安定して物事に取り組むことができるようになるだろう。

先の電気スタンドも、結局2000円もしないLEDスタンドに買い替えたのだが、当然ながら、前より明るくなったし、ライトが軽くなった分土台やアームも小さくなり、デスク上のスペースもとられず、非常によくなった。ただ、LED電球は交換が予定されておらず、長寿命とはいえど前のように20年も使うことはできないだろう。進化はすれど、使い切り。世の中も、このように入れ替わりが激しくなってきていると感じる。学びを続け、感覚の鋭敏さなどは失わずにいたい。

ちなみに、新しく買ったのはこれ。(LEDデスクランプ ODS-LS16-W

 

そして5年後も、ここでブログを書いていますように!

私はインターネットで文章を書くようになってから10年以上経っている。5年後も生きていて、また外部的な事情に阻まれるなどして続けられなくなるという事態にならない限り、ブログは続けたい。はてなブログの環境はとても気に入っているので、5年後もサービスが存続していてほしい。

文章を書く目標としては、(1)下の記事でも書いたように、自分なりの価値観を言葉で説明できるようになりたいということ、(2)長めの小説を完成させること、である。5年後ではまだ途中経過にはなりそうだが、もし10周年企画があるとしたら、この記事を振り返ってみたい。 

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コンデジ撮影を練習する

さいたまクリテリウム観戦

 10月29日、さいたまクリテリウムという自転車ロードレースの大会があった。さいたま新都心駅周辺の周回コースを、ツール・ド・フランスの各賞受賞選手をはじめ、第一線の選手達が駆け抜ける。映像でしか見ていなかった、フルーム、サガン、キッテル、マイカ、バルデなどの選手たちを間近で見ることができて、いい時間を過ごすことができた。集団がペースを上げるとあっという間に逃げの選手に追いつく様子が特に印象的だった。

さいたま新都心に来たのは初めてで、建物等複雑な上、歩行者でも階段や道路など通行止めになっている場所が多く、 配布された地図を見ても目的の場所に行くのは一苦労で、グッズ売場との案内の先に行くと、どこかのアーティストのグッズだったとの失敗もあった。なんとかメインレースの時間までには慣れてきて、観戦場所も決めた。アンダーパスのある道路に入る前の丁字路は、1周する中で2回選手たちが目の前を通る。また、さいたまアリーナ入口付近のパブリックビューイングの映像を遠目に観ることができ(実況の音声は会場全体に流れている)、全体の展開も把握しやすい。上の写真はその場所で撮影したものだ。

さいたまクリテリウム2016 - サイバナ

その他、レース展開や楽しみ方は、上のリンクを参照してほしい。日程が合えば来年もまた観戦に行ってみたい。

 

オート任せからの卒業を試みる

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上の写真は夏に購入したソニーコンデジ「WX-500」で撮影したものだ。これまではオート機能でパシャパシャ撮影するつもりであったが、せっかく色々な機能もあるので活用してみたいと思うようになった。サイクルロードレースなど動きが速いものを撮影する場合は、シャッタースピードを短くすると被写体がぶれない、ということは知っていたので、シャッタースピード優先モードにしてみたが、どの数値に設定すればいいのかは分からなかったので、満足には撮れなかった。

写真が絶対にうまくなる 構図力養成講座

(簡易版カラーチャート付) さぁ、写真をはじめよう 写真の教科書

そこで上の書籍などをみて、色々試してみることにした。カメラをいいものにするというのはせず、このコンデジでできるところまで行きたい。

 

日立中央研究所・庭園公開に行く

【東京】公開は年2回だけ。武蔵野に残る知られざる「秘密の森」 | TABIZINE

 11月13日、国分寺にある日立中央研究所の庭園の一般公開があった。多摩川の支流である野川の源流が敷地内にある。春と秋の年2日だけの貴重な機会のひとつということで、足を運んだ。これを機会にと上のコンデジで色々と撮影してみたが、そのうちの何枚かを載せてみたい。

鬱蒼とした緑に囲まれる(対角線で配置)

紅葉はそこまで進んでおらず、特に池の東側は水場までの間に緑が鬱蒼と生い茂っていた。北側の野川の源流の様子は阻まれてあまり見えない。写真に収めようとすると様々な対象が出てきて配置が難しい。フレームか対角線で収めるのがいいかなと思った。上の写真は、池の水を斜めの対角線になるようにし、ズームも活用して間にあった他の植物は除いて撮ってみた。他にもちょうど斜めに伸びている木や、入口の近くに架かる橋の下を斜めに野川の源流が通っているところなどで対角線を意識して写真を撮ってみた。

 

湧き水の流れ(シャッタースピードをいじる)

シャッタースピードを色々といじってみた。遅めにすることで、水の流れに残像ができ、「流れている」感が出てきた。配置は難しく、縦にしてもう少し引いて、S字のように小川が収まれば理想的だっただろうか。

崖の下の湧水地点では行列ができていた。行列で待つ間、足下の花を湧水からできた水の流れを背景に撮影してみた。底の石が見えているが、もう少しシャッタースピードが遅かったら水が流れているとはっきりとわかっただろうか。

 

白鳥がいた!(ズームを活用する)

池のほとりに白鳥がいた。最初はうずくまって眠っていたが、ほどなく起き上がり、最後は池を悠々と泳いでいた。各場面を撮ったが、上の写真は白鳥が起き上がった時点の状態を対岸から撮影したものだ。「WX-500」の高倍率ズーム機能が活躍した。ただ、高倍率ズームは手ブレのせいかカメラの画面ではわからない程度で被写体がぼやけたりすることが多いので過信は禁物のように感じている。

 

写真ブログは「はてなブログ」+「Googleフォト」が快適

今回写真を載せるにあたり、どういうやり方がいいかな、と調べてみた。まずは本家のgooブログの活用ができるかなと思って試してみたが、写真そのままでは1枚当たりの容量オーバーでアップロードできず、自動リサイズは320×240ピクセルと小さすぎて、自分のPCでデータ量を勘案してリサイズしてからアップロードしなくてはいけなかった。これでは面倒だということで断念してしまった。

はてなブログでは1024ピクセルで自動リサイズしてもらえて(はてなフォトライフに直接だともう少し小さく自動リサイズされるらしい。)この点はよいが、編集画面の右のツールバーで写真を投稿すると自動的に記事にも貼り付けられてしまい、「とりあえずいくつかアップロードして、絞る」という作業はやりにくいように感じた。

はてなブログの画像はGoogleフォトを利用すべし - Apple In

インスタグラムは写真が正方形になってしまうし、他に新しくアカウントを作るのも大変だ、はてなブログしかないかな、と思って検索をしてみると「googleフォト」を活用する方法があると知った。適度に自動リサイズがされ、容量は無制限で、はてなブログの編集画面のツールバーにもあり、一番快適に使えると感じた。しばらくはこのやり方を続けてみたい。